『カレーライスの女たち』と『あんにょんキムチ』と愛あるまなざし
両作品とも松江監督の優しいまなざしを感じる。俺は臆することなく言うよ、これは「愛」だよ。
フィクションというのは誰かによって作られた物語。ただ、ドキュメンタリーが現実そのものを切り取ったものと言えばそうではない。
カメラで撮影をし、編集が行われている時点で、それは人為的ものだし、ある種ノンフィクションなんてないと思う。作り手が書いた筋道や主張の為に、そこにいる人が配置及びコントロールされる。凄く大仰ない方をすると人間性のはく奪。また、撮影者と被写体は一定の距離感を保ち、客観性に重きが置かれる。
そんなドキュメンタリーが持つ構造的な残酷さに対して、松江監督のドキュメンタリーは人間に対する温かな眼差しを感じる。
例えば、『カレーライスの女たち』。一晩寝かせたカレーを食べたいという理由にかこつけて女の子とお話して、カレーを作り、カレーを食べ、お泊りするのだけど、そこでの料理、会話、食事 人間性が透けて見えてくる。
作り手のストーリーラインには乗せずに、あくまで興味、関心に基づきカメラを向けているから、魅力的な人物像が浮かび上がる。観れば分かるけど、登場する女性の方々、皆愛おしいし、こんな事していた松江監督が心底羨ましくなるよ。なんなら、自分も二日目がカレー食べたいから泊めさせて女の子に言いたい。
やや脱線したけど、こんな風に被写体が魅力的に思えるのも、彼らに対して想いを巡らせる余白があるからじゃない?
一方、『あんにょんキムチ』では王道のドキュメンタリーのフォーマットに沿っているようで、そうではない。被写体と自分の距離感が崩れた愛と自己形成の映画だと思っている。
「哲明バカヤロー!」と言ったおじいちゃんのことが知りたくて、おじいちゃんの過去や想い、しいては韓国系日本人の家族が歩んできた歴史を調べていく今作は、必然的に祖父、家族そして自分に対して眼差しが向けられている。おじいちゃんの知り合いや家族のインタビューを通じて、おじいちゃんの人物像、家族への愛が浮かび上がる。その中で、撮影者と被写体、客観と主観のバランスが崩れていく。
とあるシーンでおじいちゃんへの想いや感情が爆発し、ふいに松江監督自身にカメラが向けられるんだけど、そこはどうしょもなくエモーショナルで、愛でまみれていた。ドキュメンタリーを通して、誰しもが一度は通る「自分とはなんなんだ問題」の解決、いわばアイデンティティの構築をしていく。
よく、今作はセルフドキュメンタリーの皮切り的存在と言われるけど、それだけじゃないと思う。家族愛に気づき、自己愛を形成する、愛に溢れたセルフドキュメンタリーとも言えるのでは?いや、俺は偏愛を持って強く言いたいね。
そんな、愛あるまなざしが向けられている『カレーライスの女たち』『あんにょんキムチ』を上映が出来てわたくしは大満足でございます。
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